龍馬妻好みし月琴萩の花
龍馬暗殺後のおりょうは、誰からも援助を受けられず、
横須賀に流れ着いて、開国後好景気の横須賀で30年の
歳月を過ごし、薄幸の生涯を終えたそうです。
毎年おりょうさんまつりが催され、墓所のある信楽寺
での法要と月琴の演奏があるとのことで久々に京急三崎
行きの特急に乗車しました。この線は戦後金沢文庫に
住んで横浜や東京まで通学、通勤に乗車した懐かしい線
でしたから、少々の遠さは物ともせず…でした。
京都の医者の娘として生まれたお龍は、月琴の名手で
あったと伝えられていますが、中国製で当時長崎の芸妓
さん達が好んで演奏されていたとの紹介がありました。
今は殆ど演奏者がなくて、やや寂しい演奏でした。
鎌倉の友人とご一緒のはずでしたが、叶わず一人旅でした。
信楽寺の墓所にも立寄って、参拝者の方々と若き頃の
おりょうさんの写真を見て、美人だけど寂しげな風情を
偲びました。明治維新から150 年の歳月、黒船来航で
大騒動の三浦半島・浦賀、歴史を感じる旅でした。
by aki1933
| 2018-10-20 05:34
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