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四季折々の写真・俳句集

aki1933.exblog.jp

写真と俳句で綴る日々の記録

広島をまどうてくれと原爆忌


 昨日は広島の平和記念式典でした。終日広島の原爆
がテーマの映像がテレビで報道されました。広島市長の
平和宣言に「まどうて!」と広島の方言が使われました。
 まどえる訳ありません。しかし、後世にあの悲劇を風化
させることなく伝え、戦争のない平和な世界を創る日本で
あって欲しい。日本はそれを世界に発信できる唯一の国
なのですから!
 平和憲法が制定されている中、安保法案は違憲だと
多くの憲法学者が見解を述べておられる。そして一般の
国民も不安を感じている。この法案の制定をすすめる
政治家は 昨今世界情勢はそんなに甘い状況ではない
としている。この意見に流されてよいものでしょうか?
 さて、昨日のNHKの特別番組は衝撃的でした。広島市
千田町、元安川にかかる御幸橋にやっとやっと逃れてきた
被災者の大部分は学徒動員中だった若き女学生達、当時
1~2年生だったのです。
 当時千田小学校6年に在籍の私達は、その年の4月に
広島県山県郡蔵迫村勝龍寺に学童疎開していました。
御幸橋は通学路でした。たった一年の学齢の差を思う時
若くして命を奪われた人々の悲惨さを重く哀しく感じます。 
 私達は、その年の9月に焼け野が原の広島に戻りました。
千田小学校の授業が再開されたのは、その年の初冬でした。
最初防空壕の山に、石を並べて階段式の青空教室でした。
雨の日にはテントがはられました。学校に復帰できたごく
少数の生徒のために、先生方のご努力だったのでしょう。
焼け残った校門横のご真影を(天皇の写真)祀ってあった
建物が先生の宿舎でしたよ。
 「生ましめんかな」という原爆詩をご存知でしょうか?
舞台となった貯金局が、やがて千田小学校の校舎として 
使われました。瓦礫の石を並べて椅子代わりにしたのは
わずかの期間でした。記憶が正確さを欠いていますが。
 広島県立第一高女(現皆実高校)に進学しましたが、
校舎は、元陸軍被服廠の赤レンガの建物でした。
旧制広島高等学校がすぐそばにあり、バンカラな学生が
学園祭の後、女学校にストームをかけてきました。その中
に主人がいたのだと後からわかり、愉快になりました。
 日本人は、本当にたくましいと、心から思います。戦後
から立ち上がるエネルギーって、何だったのでしょうか。
 
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  戦地で戦い、帰還する兵士の復員便りが毎日ニュース
に流れ、音声の悪いラジオに、それこそ耳をつけて聞き
ました。終戦の翌年の暮に、父の部隊名を弟が聞きました。
浦賀に上陸との報道でした。やつれた兵士姿の父は、焦土
と化した故郷広島、祖父母はすでに亡くなり、どんなにか心の
張り裂けるような思いだったことでしょう。
 でもあの理不尽な戦の後遺症もやがて癒えて行き、職場
復帰もできて、落ち着いた生活が可能になっていきました。
8月は戦争を知る世代の皆が悲しく過去を思う月。けれども
前向きで生きる気持ちを、持ち続けたいと思います。
by aki1933 | 2015-08-07 10:16 | Comments(0)